二十代ということ-1- 〜21歳から、22歳へ。〜


久しぶりに、ちょっと真面目なシリーズを投稿します。

昨日夜にいわゆる学生時代からの友人に会って食事をした時に、例によってもう30だねみたいな話をしたわけです。その時いた三人の中では僕だけが先に今年で30歳を迎えます。

その時に、近々20代を振り返る長編を書くよと半ば冗談で宣言しました。なんらかの形で振り返りの文章を書こうとは決めていたのですが、いざ書こうとするとどこから手をつけていいのかわからないな、と方策を練っていたところでもありました。そんな矢先にそんな話になったものだから、じゃあまず手を動かしてみようと昨日の今日ですが導入の投稿を試みたという事情です。


できれば読んでもらいたいと願う第一の対象は、後輩の、特に今21歳前後の年齢の方です。これはいつも変わりません。

次に、学生時代をともに過ごして一緒に大人になってきたみんなです。リアルタイムで以下の文章を読んでいてくれていた人のなかで、少しくらいは記憶に残っているという人もひょっとすればいるかもしれません。

最後に、僕が自分の道を選んだ後に出会ったすべての人たちへ。


僕にとって、親も、友人も、恩師も、みなが偉大な教師であり尊敬は絶えないのですが、それとは別次元で、今の自分に対して語りかけてくれる過去の自分も同様に偉大な教師です。「僕」(とりわけ今の僕)とは誰かを考える際に、「彼」を無視するわけにはいきません。

少なくとも今の僕は、まだ、そのように考えているのです。



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■迷惑をかけるとはどういうことか2 〜夢と写真と七号館〜
[2006年07月18日]

1年半前と同じかもな。それほどじゃないだろうけど、でも根底の原因が一緒ってのも滑稽だよな。
殴って、当たって、座って泣いて、バカだな、泣いて。
走って、走って、寝っ転がって、回って感じて、それを感じて。



とても小さなフィクション。


人生はとても小さいフィクションさ。誰が僕に何を言うことも無ければ、僕が嬉しくもないのに頷くなんてこともない。小さな箱の中に、丁寧に包まれて、大事にされてきた、小さな、物語。作り話さ。



じゃあね。そろそろ帰ろうか。


■僕が本当に、心から愛するもの。
[2006年07月25日]

生ぬるい風だけど心地良いなぁ。いつもの道、久しぶり。

わかるか、なぁ。この気持ちは、とっても嬉しいからなんだな、熱くて冷たくって震えが止まらないんだよー。別に恐くも、悲しくも、ただ妙な実感。嬉しくて嬉しくて、俺にとっちゃ余りに些細で。あぁどうしてくれようかこの気持ち。うずくまって、消えてしまわないよう、それでもいいよう、地に保存。

そして永久に、な。

もう一度言う。

俺にとっちゃ、余りに些細。だからこの実感。
いつか消えてしまうのか。

忘れるものか。


■晴れて良かった
[2006年07月26日]

どうも何か忘れ物したような感じが抜けず、今にも引き返そうかと思ったり。魂が抜けたような感じ。心ってのはこうまで重たかったものなのか。ボーっとしてたら女性専用車両に乗りかけて駅員に注意された。

今日はゼミでちょっくら葉山パーティーなるものがあるので、今葉山に向かっています。晴れて良かった。

電車に受験生っぽいのが二人いてどうやら二人とも英語を勉強してるみたい。そういえば夏期講習の季節だね。
うん、晴れて良かったよ。世界が眩しい。今日みたいな日だから…?

どうだろうね。


■蝉が鳴いていた
[2006年08月03日]

好きな言葉をただ並べているだけでは良い文章は書けない。そこに心も無ければ、それはなおさらだ。

僕は素直に生きるのさ。何でもないような素直さに、身を任せようとも思うんだ。
ここにある不安と、そこにある希望を、そしてもっと遠くにうっすらと垣間見える、、予感なんてものも、もっと肌身で感じたいんだ。

余裕で生きているようだって、ちょっとした物音にたじろいだりするものさ。堂々と歩いてたって見る人が見れば、不安はすぐに見破られるんだよ。別に、人がそんなに強くないなんてことを言いたい訳じゃない。ただ、本当にしたいことは、そんなことじゃないだろう?って、ここでちゃんと言っておきたいだけだ。

夏の夜。鈴虫。花火。
星が見えなくたって、君の汗の匂いくらいはわかる。
蒸し暑い空気。生ぬるい風。

秋になれば誰もが寂しさを隠せなくなるんだろう?今はごまかしきれない訳でもなく、それは今年もたぶん同じ様なことで、9月の初めには、、みんな気付くだろう?


■悠々、久しくする流れ、吾に止められるものかは。
[2006年08月17日]※帰省中、奈良の明日香地方を自転車と徒歩でぶらぶらした時の日記です。おそらくこの時あたりで、僕は自分の生きる道を決めたのだと思います。


今日は明日香に行ってきた。自転車でぶらぶら。以下はその旅日記とでも捉らえてもらえると有り難いかもしれない。



こうして眺めてみると普段自分がいる町の状況などこの辺りの人にはどうでもいいことのように感じられる。もしかするとその存在なんてものも知られてはいないんじゃないかとも思う。川の流れる音、涼しい風、青いビニールシートに覆われた耕運機。

鐘の音。最高だなぁ。次元が違うよ、心地良いとかそんなんじゃない。夢か現か、本当にわからなくなるね。

蝉の音。思い起こすいつもの町、生活。悪くない。でも、そういう問題じゃない。

チョウ、アリ、カナヘビ。君らいつもそんなところにいるのか。確かに非日常だわなぁ。

さてと、暗くなる前に橘寺とお目当ての古墳に行かなければ。




途中、川に大きめの石を投げ入れて流れを変えておいた。10年後にどう影響するかは知らん。




宇宙の横の広がりなんかに比べたら、悠久の時の流れの方が偉大なことのようにも感じた。でも結局は同じことのようで。空間に幅なんてものはないかも知れなくて。四次元に別の軸なんてのもないかも知れなくて。難しいことは専門の人に任せるとして。

でもこの流れはどうしようもなさそうなもので。今日覚えたものも含めてこの感性、浴びせかけたいと思う人がいるわけで。

それはまぁ、間違いのないことなんだろう。


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そこから8年。

10年後はまだ訪れませんが、その時の「大きめの石」によって変えられた「流れ」が「10年後」にどのように影響していたと言えるだろうものなのかを予測することくらいはできるほどに、それからの時は確かに流れていったのだなと感じます。


どうか、すべてを、受け止めていきたい。

何も知らなかったあの頃に、すべてを知ったかのような顔をしながらも不安に怯えて受け止め損ねてきたものも含めて、どうかこの先受け止められる自分になっていけたらと、願います。

大学を卒業するとはどういうことか-3-


遡っているのに、追いかけているような感覚。

不思議。

苦心して、現在の自分をなるべく小さくしていく作業。

「僕」という誰かのために、石を投げ入れ続ける作業。

そう、記憶の中の、明日香の川に。山が呼び、石が鳴く。


まるで今の僕のこの作業を招き込むように。


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「それでも僕は思い出に感謝する」
[2008年03月12日]


“僕は君のすべてなど知ってはいないだろう”

“僕は君のすべてなど知ってはいないだろう?”


昔友達が日記かブログで、雪がちらついているときiPodのシャッフルでレミオロメンの“粉雪”が流れたことについて、それを何千分か何万分かの一の奇跡と呼んでいたのを思い出した。

そういうのって嬉しいよねって、

幸せってそんなことなのかもなぁーって、

俺も思った気がする。


12月くらいのことになるが、

サークルのあるバンドの練習に遅刻しそうだった時、

またやってしまったーやべー遅刻だー とか考えてたら、ふとメンバーの誕生日を思い出した。誰かが教えてくれたのかもしれない。

自由が丘でケーキを買っていったのだが、本人には喜んでもらえて嬉しかった。嬉しかったのだ。

たぶんあの彼女の涙には様々な想いがにじんでいたんだろうなって思う。そう思うと、感謝や申し訳なさや、運命的なものをまた感じる。



僕は大学一年の頃、日吉に住んでいる友達が二人いた。

そのうちの一人の家に、授業後に一緒に遊びに行っては、近くのスーパーに二人乗りで買い物に行っては食材や飲み物を選んだ。

なぜかは知らないが、大学生活全般を思い起こす時、その情景が一番最初に思い浮かぶ。

たぶん、嬉しかったのだろう。いや、今もそうして思い出せるものごとがあることが、とてつもなく嬉しいのだ。


原風景という言葉がある。
昔見た風景や感じた心象の中で、あとになってはっきりと強く印象に残っていたり、ふと思い出す情景のことをいうらしい。

ある人に聞いた話によると、だいたいの人は5〜6歳の時期の経験と、面白いことに19〜20歳の時期の経験が原風景になることが多いそうだ。


あの自転車とスーパーの映像も僕の中で大切な原風景の一部となってくれているのだろう。



心の奥底で、忘れられない音がある。

大学2年夏に、サークルの友人と二人で伊豆に行った。

その時民宿の寝床から聞こえた波の音。

もともと海に馴染みがなかったからかもしれないが、他の場所で波の音を聞く時、伊豆の音がなぜだか聞こえるような気がする。


嬉しいとは、みんな感じる感情だろうが、

それはどんな単純なものであろうと、どんな複雑なものであろうと、

感性と接点を保っておいてほしいなって思う。

今はまだその倫理性とか道徳性とかについては考えたくないなって思う。


辻仁成さんの小説に、『人は思い出にのみ嫉妬する』という素敵なタイトルの本がある。

今日のタイトルはそこから捩ったものです。笑


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「濃縮3%、君と僕の底力をあなたに」
[2008年03月28日]


and I love you のandが逆接になった日


緑が丘は桜ばかりで

大井町線は今日から急行が走ります。


各駅停車しか止まらない駅から

各駅停車しか止まらない駅まで

僕は電車に乗ってミスチルの靴ひもを聞きます。


今日も小さなフィクションは僕を優しく包んでくれるけど、

街がいつもより騒がしいのは

君がいないからじゃない〜


「たいてい人はこんな感じで大事なものを失うんだろう」(CANDY、Mr.Children


人は迷い、惑い過ぎる。


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「僕は今、君に恋しているよ」
[2008年03月31日]


大切な人達3人が卒業するということで、


今日のHBRSのラストライブにはもうひとつの予定をキャンセルして駆け付けてみました。(しかしそのもうひとつのイベントは結局なくなったのですが、まぁ結果的にはよかった)


色んなメンバーが色んな曲を歌ってて、


バンドの色がいっぱい出ててよかったなって思います。


ライブ終盤に歌ってた「告白」という曲は


もともと大好きな曲だけれど、


今の僕には少々爽やかで鈍い後味を残してくれました。

イントロで嬉し泣きしてしまった。なんだったんだろうな、あの気持ちは。笑



近くに大切な人がいるのに

どうして人は遠くにいる誰かに恋い焦がれてしまうのか



親友は我慢の問題だと言い、

僕は感情の問題だと言う。


「告白」を歌うメンバーの顔を見ながら


色んな想いを感じていた。


「誰かが誰かに寄せた想いが溶け切らないほどの空間…か。。」


「いや、しかし君は確かに彼のことが大切なんだろう?」



流れに身を任せることなく

それでいて砦のハリガネのように芯の強い…




でも素敵な曲だな。


そうか、でももう聴けないかも知れないのか。


そんな風に景色は流れていくんだな。



僕には止められるかな。




今となって色々思い出します。


電車を待ってた夜の駅、星の見えなかった塾の屋上、少し木の葉が色付いて来た頃の日吉キャンパス競技場脇のベンチ、終電のなくなった深夜の公園…


歌の力。


僕の尊敬する音楽の力。



みんなが卒業していき、


さて僕はあと何度歌えるのか…って


いや、声が出る限り歌うもんねって。


伝えたいことはきっと


死ぬまで有り余ったまんまだろうからね。


僕には止められるかな。



伝えたいことはきっと


死ぬまで有り余ったまま。


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この最後の日記に、当時コメントをくれた三人の友人がいます。

最初に載せた写真がそれです(笑)

嬉しかったことを覚えています。

たまたまかは今となってはわかりませんが、みな大切なバンドのメンバーでした。


2014年1月6日。朝9時。

みな今日から初仕事なのか、ここ三軒茶屋の人たちも慌ただしく僕の周りで入れ替わっていきます。

僕もそろっと行かなければならないらしい。



この世界がいつまでも、この慌ただしさと、そして時折の落ち着きを、なるべく広い範囲で持ち続けてくれることを願って、


僕はここまでの三つの文章を送ります。この世界に。


大学を卒業するとは、その4年間(象徴的に用いていますから、時間的にもっと短かったり、あるいは4年分で収まらない場合ももちろんあります)で、たまたま出会った多くの人や、ものや、場所に対して、そしてそれらのイメージに対して、それぞれの人がそれぞれの距離を取り始め、それについて語る準備を始めるということです。

卒業が、いつもすぐそこにあるものとなるのです。

卒業は、いつもすぐそこにあります。

だからこそ、みな、感謝し、嫉妬し、別れ行き、思い出すのでしょう。


-了-





大学を卒業するとはどういうことか-2-

立ち止まること。

何度も振り向いてみること。

その上で、目の前のものをもう一度眺めてみる。

深呼吸しながら。


「もうすぐ学部学生としての生活が終わる。それについてはまた改めて書くのだろうが、4年間は長いようで短く、不満足なようで十分過ぎるものでもあったと思う、僕にとっては。

いつかも書いたけど、

10年後くらいの僕がこの数年を見つめる視点を

いつでも、今でも、用意しておきたいものだ。」


僕にとっては、2014年は中間地点としてちょうどよい時期なのかもしれない。でもそれは、世界にとっては一つの「例」でしかない。

僕には、時期を見定めて、その都度小川に小石を一つずつ投げ入れることしかできないが、それこそ大切なことなんだと心の底から信じている。

理由づけることなく、それを一歩だと、確かなものとして感じることができるからだろう。



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「抵抗と余裕 〜3月の雪を待ち焦がれて2008、序〜」
[2008年03月01日]


不思議な音楽を君と一緒に創り上げよう。

膨らんでは消えて膨らんでは消えて

一見センスの破片もないような。。

センスノカケラモナイヨウナ。



君の信じているものを僕はすり鉢ですり潰します。

きっと君は嫌がるでしょう。戦いが起こるかもしれない


暖かくなってきたら気持ちも緩むもの。

積もった雪は溶けかけが一番固い。堅固だ。自然を守るバリアだ。精一杯の抵抗と寛大な余裕を感じる。ジェネロシティー?

緩んできたときに落とし穴がある。

確か受験もそうだった。


何か自然な形や成り行きを損なわせないように働く力を肌に感じます、そんな時は。


パラレルで入り組んでいるいびつな格子状の世界に

一人一人のなかで

愛なり情なりは、膨らんでは消え、膨らんでは消えて

冬の後は春に辿り着くけれど、夏の後は秋に辿り着く。


それは運命でも予定調和でも機械論でも社会進化でもなんでもいいのだけれど、

精一杯の抵抗を忘れずに、寛大な余裕を手に入れたい。


そんな風に思います。たぶん3月が始まったからかな。今年も3月の雪が降ればいいな。3月の雪っていう響きがすごく好きです。



本日卒論提出最終日、最後の最後までねばりたい。笑


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「カルアミルクを溶かす氷のように眠りたい」
[2008年03月06日]


ちゃんとしてる人は、時に無欲でもある。

僕はもちろんちゃんとした人間ではないし、どちらかといえば欲深いほうだ。

だから、きちっとした生活をしていて、必要以上に多くを求めない人に出会うと、憧れに近いものを感じてしまう。

ここ一年くらいで出会った人にはそういう人が多いように思う。気のせいかもしれないが。


もうすぐ学部学生としての生活が終わる。それについてはまた改めて書くのだろうが、4年間は長いようで短く、不満足なようで十分過ぎるものでもあったと思う、僕にとっては。

いつかも書いたけど、

10年後くらいの僕がこの数年を見つめる視点を

いつでも、今でも、用意しておきたいものだ。



今日はシャワーを浴びてぐっすり眠ろう。

明日は、また明日。


さよならまた明日。ってな感じで。


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「不毛について・1」
[2008年03月07日]


彼が手に持っている文字列の中にいったいどんな秘密が隠されているのか。

人は秘密を欲しがる生き物だ。

色んな意味で欲しがる。


憧れを原動力にして生きるウォンテッド・シープ。

眠っているものもいつか目覚め

雑多な世界を目にすることになるだろう。

そこには 空と雲があり

看板と広告があり

憎しみが笑顔に隠され

笑顔は 可能性に対する嫉妬によって

不毛の円環を巡る。

ならば不毛とは。不毛とは何か。


それは、例えば自転車に二人乗りした子供たちが 足をブラブラさせて、地面にガガガガガーってするあの感覚に似ている。僕も大学入りたての頃によくやった。

ぐだくだが、音と鈍い痛みに変わって形を成す。

笑顔もあれば将来に対する不安もちゃんとある。


だから不毛が無意味だとは決して言わせられないようだ。


大切なのは、有意味な不毛と無意味な不毛をきちっと区別することだ。

しかし物事は見方によって必ず何らかの意味をもつものだ。

だから真の不毛なんて世の中に存在しないのではないかという錯覚に陥る。



一秒間を一光年に、1平方を1デシベルに。。



パールを聴こう。しかしスピッツのジュテーム?も聴きたい。

できれば歩道橋なんかの上で聴きたいが、それは今は無理だ。

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「君がいた場所を見よう。見よう。
夜の商店街、眺め。
君の詩の意味を知ろう、知ろう。
歌いながら。」[モノアイ/100s


当時から大好きだったシンガーソングライターの一人、中村一義さんの詞ですが、僕にとっての「生きること」の意味が象徴的に表現されているように思えます。


足早に3月まで辿り着きました。おそらく、-3-でいったん終着できるはずです。





大学を卒業するとはどういうことか-1-


生き急いでいるというわけでは全然ないですが、

最近僕は少し焦っているようです(笑)

そして、最近頻繁に考えてしまうのが、タイトルと密接に関係しているのですが、

大学4年生であることについて、です。この文章のタイトルはそれを今少し抽象化したものです。

最近、僕の友人である大学4年生の1人が、なんだかよくわからないことで悩んでいます。

そう。今の僕にはわからないのです。

なぜわからないのかもわかりません。

ただ、“どこかで見たことにあるような"種類の悩みであるような気がしてならない。

だから僕は、ほんの少しの時間を犠牲にして、ある種の永遠を探しに、ちょっと冒険に出て行こうとするわけです。無論、自分のためにもなることを信じて。

大量の興味深いテクストを書き残していてくれた過去の僕に感謝するばかりです。僕はまた必ず彼ら様々な「僕」と一致したい。

そして、あのお話の続きを早く書きたいのです。彼女に勧められたように…。


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時間と永遠について[2008年1月19日]


エスカレーターが淡々と昇っていく。

後楽園駅。「タガタメ」で、ある人がキスでもしてることを桜井さんたちが教えてくれる。


小説なり専門書なりを読んでいると、現実逃避とはまた違った意味で現実と隔離された感覚を感じるが…


最近春樹さんをあまり読んでいない。もったいないってのもあったけど…


卒論も一区切りついたので、新鮮な気持ちを味わいたい衝動にかられる。でもあまりに度が過ぎるとまた手痛い目にあうので注意。安定は大切だと思う。力動的安定性。ルーマン懐かし。


最近はむしろ村上龍をよく読む。新鮮。短編集が秀逸。コンセプトアルバムみたいだ。


久しぶりにベンフォールズを聴きたい。TSUTAYAの半額期間に借りることにしよう。新丸ビルのどっかの店でフィロソフィーを女の人が歌ってるのが流れてて、つい最近これまた新鮮な気持ちになった。フレッシュ素敵。そういえば三田のフレッシュネスが潰れて淋しい。




厳密には厳密でも適当でも対抗できるが、適当には適当でしか対抗できない。と感じる今日この頃。


過去と未来の取り扱いこそ、時間に関する思想のきっかけを形作りそう。取り扱い説明書がほしいところだ。

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【2007年7月7日の日記より】


僕は欲望を抑えて

夢を見ない。

出来ることの範囲で

とりあえずの一歩を歩む。

感じた分だけ感謝して

出来ることならニゲミチも塞いでしまおう


期待を希望に

希望を絶望に

絶望を糧に

その糧を根拠のない自信にでも変えて

生まれた期待を永遠と名付ける”


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秘密を誰かに話すと、自分の中で何かが薄まってしまってしまうという感覚。龍さんが描いてくれて幸運だった。


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時代[2008年02月16日]


平和が乱れる。

また違った形だー

平和がまた乱されているねー。

たどり着くところは、どこ?


ヘルプ・ミーという感覚。のめり込むドブガワ。


リスキーでミスティーで


ネオンの街だね今日も。


過ぎていくのは時間と…ビルの景色と…


彼女の顔がだんだんとそれに重なっていく。


昔の友達…大切な人達。

それでももう、後戻りは出来なくて、出来るとするならばそれは例えばダンプカーで押し潰していくような開き直り。…か?


夜中には余計なこと考えないから、ぱっと寝てぱっと起きて、もとどおり!なんて思う。難しいけど。生きてくのはみんなそんなもんなんだろうけど、厳しいこともたまにはあるだろう。もっと辛い思いってのが実際は存在しているってことを頭ではわかっていても。それでも難しいだろう。



悲しみは雪のように。浜田省吾


誰もが〜woh〜oh〜

あのまま平和な時が続いていくと思っていただろうに。


◇◆

それから二つ夜を通り過ぎて


また一歩、新しい土地にたどり着いた。


彼は開拓して

彼女はご飯を炊いて


子供達は木の棒でおもちゃを作りだしたようだ。




スクランブルしているようにたまに見える世界。

僕は僕でちゃんとスクランブルしている。

尾崎は昔、スクランブルにロックンロールを叫んだが

それはまだ僕の中にも生き続けているようだ。



ただ朝を迎えるだけでもいいじゃないか。

昔話でもいいじゃないか。将来を語ったって誰も困らない。車の音に耳を澄ますのだって悪くないだろう。


君にとっての日々。僕にとっての日々。

いつか重なることがもしあるとしたら

その時はビールでも飲んで祝福しよう。


そんな時代もあったんだと。


◇◆◇◆


朝[2008年2月24日]

みっつくらい前の日記から

タイトルがちょっとずつ短くなっていってるのに気付いて

せっかくなので踏襲してみようということで、今日はタイトル一文字です。

そして、2008年になってから書いた6つの日記はすべて「時間」をテーマにするものだったようなので、それも踏まえて、

今現在の時間帯も合わせて考えれば、このタイトルしかないでしょう。

「一日」という区切りのスタート地点を決める時間帯。帯なのに点というところがまた面白い。

クラウチングでいくかスタンディングでいくかは

その時その時で決めればいい。

今日は久々にクラウチングで行きたい気分だ。

だって日曜日やもんね。俺は日曜日が好きなのです。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


日曜の朝。

オレンジの朝日がガラス越しにカーテンをすり抜けるから

また意識が3年前に飛びそうになる。


優しいねなんて、買いかぶるなってって、まるでミスチルのつよがりのようだ。

そう言うと君はまた隣で笑う。

ブルーのマントがほんの少しも棚引かないから

無理してるってことくらいわかるよ


だから窓を開けて、少し風でも感じればいいのか


遠ざかっていくその姿は

僕にとっては青春そのもの

でも、その姿はいつになっても変わらないものだ。



部屋の机の上に、読みかけの古本のようにレシートが一枚落っこちていた。

なんてことのない、安いファミレスのレシートだ。例外的に、深夜割り増しが付いているだけだ。

それを見て僕の意識は数日前に移動する。

本当に一瞬で移動する。まるでセルゲーム会場に初めて訪れる孫悟空のように。



だいたい朝とはそういう風にして始まるものだ。

本当に、一瞬の出来事だ。

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この人たちが一体誰で、何を考えていたのかは、今の僕にはうまく理解し得ない。

ただ、足跡というか残りかすというか、それらの残滓みたいなものは拾い集めることができる。

大事なことは、現在においては、それが全てだ。

そしてそこからしか、タイトルにあるようなことについては、本来語れないのだ。

少なくとも僕(今ここに生きているらしい、僕によって「僕」と名指されている存在)は、いくつかのテーマに関しては、そこからしか何かを語るということはしたくないのだ。


ここまで読んでくださった方は少ないと予想しますが、2014年の初めの僕の文章として、この小憎らしさを僕と一緒に感じてもらえれば嬉しいです。

そしておそらくそれも、僕がちゃんとこの数年で“変わった”のだということの証明となってくれることでしょう。そう願います。


本年も、どうか、宜しくお願い申し上げます。


「伝えたいことがあるのならば。」再訪


※以下は、2008年03月23日19:50に投稿した文章を編集、一部改変したものです。

時代に制約された僕の思考が、今の僕にはとても悲しく映る。
それでも彼女の世界を少しでも変えることが可能だと思えるなら、僕はそこに、そっと石を投げ入れるだろう。


◇◆


伝えたいことがあるのならば。



「伝えたいことがあるのならばね、それは表現するしかないんだよ。」


―もしそれで相手を傷つけてしまうとしたら…?


「もし君が、自分の想いよりも相手のことを気遣うのであれば、諦めるか、押さえ付けるしかないね。」


―迷惑になるから…ですか?


「うん。迷惑にはなるだろうね。それは君の想いが大きければ大きいほど…ね。」

―だから伝えてはいけない…と?


「そんなことはいってないさ。もし君が伝えたいのであれば伝えればいい。相手を気遣う気持ちより君の想いが勝つのであれば、そうすればいいだけの話だ。結局のところ、自分の想いにどこまで正直になれるかの問題なんだ。それが善い、悪いかは別にしてね。」





―本当にそうなんでしょうか…?確かに、あなたの言ってることはわかります。真っ当な考えだと私も思う。ただ、うまくはいえないんですが、、相手を思いやるような心が、自分の気持ちとかあなたの言う想いみたいなものに含まれていないものなのかどうか、僕には判らないだけなんです。わかりにくい言い方になってしまいましたが、僕は、彼女が大切だからこんな風に思い悩んでいるって信じたいんです。





「いいかい?もし君がそう感じているのであれば、そう彼女にそのまま伝えればいい。伝えようとすればいい。そこで、言葉でうまく伝えられないのであれば何か別の方法を考えてみればいい。しかし、、どうかな、そこで君はそう信じたいというけれども、僕としては信じたいだけじゃだめだと思うんだな。実際に信じないとだめだろうって思うんだ。まぁそこは今言うべきことじゃないし、多くは言わないけれど、彼女が君にとってどういう存在かが君の中ではっきりしているとは、どうも僕には思えなくてね。」


―彼女は大切ですよ。


「誰よりもかい?」


―…そんなことはわからない。ただ、今だけなのかもしれないし、これからもずっとなのかもしれない。


「だとすれば…」

「君はそういうことも含めて、彼女に伝えたいことを伝えるべきだよ。いいかな、もう一度言うけど、伝えたいことがあるのであれば、それは表現しないと伝わらないんだ。つまりね、、」


「…あぁ、少し時間をとりすぎたみたいだ。電車も来てしまったし、もう行かなくちゃいけないけど、最後に一言だけ言わせてもらうと、、」



君には自分のしたいことをちゃんとわかっているか?自分に対して誠実に。そしてそれをきちんと伝えたいって本当に考えているのか?そこに少しの曇りもなく、疑い得ないと感じるのであれば、伝えたいって思っていることを君に表現できる分だけ伝えればいいと思う。僕の言う‘想い’とはそういう意味だ。


君が綺麗な意味を残せることを、僕は祈っているよ。それは必ずしも綺麗であることはないんだけれどね。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


2008年3月23日。僕にとってその日の意味は、とても大切で、もちろん言葉では言い尽くせない。


だからといって僕がただのひとつの感謝も表せないというのはおかしな話で、僕は、僕に出来る範囲で、この想いを色んな人に伝えていきたいと思う。

今まで出会った人達、これから出会うべき人達。


大切なのであれば大切だと思う分だけ、僕は伝えていきたい。



君は勝ちますよと言ったけれど、僕は何度でも、


負けないからね


そう言うだろう。

◇◆

この文章に対しては、友人の一人が以下のようなコメントをくれました。とても印象に残っているのでここにも載せさせていただきます。

◇◆

この日記を読んだっていう証を残しておきたくてコメントを。

何事でも『する』っていうことには制約が出来て。
正直になるってだから難しくて。
自分に正直にってなったときじゃあ‥‥‥って思うことが皆ほとんどじゃないだろうか。
きっとどんな結果でもしょうがないってそんな慰めで。
自由に憧れる一方自由が嫌いで。
水と油。
そいつが水と氷だったらどんなにか‥‥‥‥
最後の言葉がとても痛い。
また少し世界が形を変えた。
きっと今夜はあの日に帰る。
気持ちが感覚が鼓動が。
綺麗事、美辞麗句。
無意味っていう意味。
トントントン。

◇◆

ドーナツの破片~s~

第2部  序にかえて

ドーナツの破片~s~



街の夜が平気なうちに

それは顔を見せて笑い

静かに散る。

涼しさは心地良く彼を揺らし

街の灯りも人々の足音も

ゆっくりとみな彼の味方になる。

一つの季節の終わりにはちゃんと一つの美しさが人々の心に淋しさを遺し

また来年までさようなら…って声が

戸惑う人達の背中を優しく押している…そんな風に見える。

空気は汚れ

血は流れ

欺瞞だか茶番だかは判らないが

犬が愛くるしい服を着て、散歩中に、疲れたのか座っている。



僕はそんな光景が好きだ。

だからどうしろという話にはならない。

どうしようもないという、ただそれだけの話なのだ。

可能性を全て否定するのは間違っているし、僕もそれはそうだと思う。

だけど、可能性を全て肯定することも同様に間違っていると、そう感じるだけなのだ。



まだ廻っている。不完全だけど、いつまでも世界は廻り続けている。円を描き続けている。とてもいびつに。

誰かが男に諭した。「絶対なんてないんだよ」

女が言う。「それは、正しいものなんて無いということ?それとも、間違っていることなんて無いということ?」

誰かは言う。「僕は彼に対して言いたかっただけだ。僕は君のことは愛している。愛しているんだ!」

そんなやり取りを横目に、男は部屋を出ていき、広場で鞭打たれる馬にしがみついた。まるでニーチェのように。

「僕はむしろこの愛を!ここにあるこの愛を守りたい!大海に咲くたくさんの憂鬱には、本当は目もくれたくないんだ!」



風が吹いて

街行く人が泣く。

一人、また一人と、涙が笑顔を覆っていく。

犬はもういない。

僕はとても好きだけれど、好きであるにもかかわらず、彼も彼女ももう戻ってくることはない。可能性の全否定。


風に吹かれて

それはまだゆっくりと散り続けている。

明日にもまだ。

明後日にもまだ。


世界を暖かなピンクで覆い尽くしてしまうまで

色褪せることの無い、その絶望的な優しさをもって。

ドーナツ・ショップ9

‐9‐


社会と呼ばれているものに出て、社会人というものとして見られ扱われるようになって僕自身が最も変わったと感じることは、自分自身のポジションについて考えることが多くなった、ということだ。学生の頃サークルや部といったものに所属していなかった僕にとっては、比べようもないほど今の会社での部署での役割が自分に意味を持たせていると感じられるのは極めて当たり前なことなのかもしれない。けれども、こうして休日の昼下がりに喫茶店で読書をするなどといった、学生の頃に戻ったような生活をすると、急に自分のポジションが宙に浮いたかのような、異様な解放感に囚われる。窓際から街行く人を眺めるたび、扉から入って来て席を探す女性の顔を見るたび、そしてその時の扉の音を耳にするたび、自分のポジションに対する不安とともに、宙から世界、世間を眺めるもう一人の自分に気付くことになる。あぁこれが、これが僕の生きている本当の世界なのだな、と。普段の僕は、あるいは僕の幸せや快楽は、決して自然には生まれえない、誰かが無理をして作った世界においてのみ存在するものなのだな、と。そう感じるようになるのだ。

そうして目をつむる。

眼底にも同じような喫茶店の様子が、世界が浮かぶ。「しかしね、それはさっき君が見ていた世界とは全く違う世界なのだよ。時間も空間も、何一つとして同じことのない世界なのだよ。」そんな声が僕の意識を捕らえる。

意識が流れる。

それは流れる川の水に似ている。そう言えばそんなことを誰かも言っていた。僕はその流れの一瞬一瞬を捕まえようと努力するが、それらは例の、手から零れ落ちる砂のように、サラサラと逃げるように流れていく。


だから、僕も逃げる。


僕はもう、彼との約束を守れそうにないのだ。この世界に生きるとは、彼が言うように努力すれば何とかなるようなものではないのだ。あらゆる可能性のことを少しでも意識にのぼらせてしまうと、もうその瞬間、僕らにはどうしようもない点まで、僕らは、この世界は来てしまっているのだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「不可能だよ。たぶん、不可能だ。俺はお前みたいにはっきりした思想も態度も持っていないし、そんな俺が彼女の力になれるはずない。」

相変わらず彼は目の前の丸くて穴のあいた物体を飽きずに眺めていた。それぞれに違う、彼がそう言ったそれらは彼に眺められる時間が幾分か長くなっても、少しの恥じらいも見せることなく堂々とそこに居座っている。「彼ら」はきっと彼が好きなのだ。そうして、彼にその気持ちが伝わってしまわぬよう強がっているのだ。

「あいつは…、響子は別に俺の頑固で偏屈なところに惹かれてたわけじゃないよ、たぶん。どっちかっていうと、優しいところに惹かれてたはずだ。まぁ、それはどうでもいいことなんだけど。大事なのは…」

そう言いかけて、彼は少し戸惑ったように天井を見上げた。その店の天井には円い電灯がいくつも、アトランダムに並んでいた。それを見て少しほっとしたのか、彼はまた言葉を続けた。

「大事なのはね、事実として、あと何日かすると、まぁもしかするとそれは何年かしてからかもしれないけれど、響子がお前のところに行くってことなんだ。そして、あいつはお前を信じる。それだけは、俺には防ぎようがないんだ。」

「どうして?どうして防ぎようがない?それに、どうしてそんなことがわかるんだ?」

「質問は一つずつにしてくれ。どうしてかって…、それは、そもそも俺がその時までずっとあいつの近くにいる保証がないからさ。それから、もう一つの質問に関してはそうなった時に直接彼女に聞いてくれ。たぶん、あいつなら答えてくれるよ。」

そう言うと彼はドーナツを一つ持って立ち上がり、半ば逃げるようにカウンターに向かった。そこにいた店員と彼とのやり取りを眺めていると、さっきまで自分の中にあった疑問はなんだかどうでもいいことのように思えてきたし、彼の言わんとするところを正確に捉えるためにさえ、それらの疑問は大した意味を持たないんじゃないかという気さえしてきた。

「何してたんだ?」

戻って来た彼にそう問い掛けると、温め直してもらった、と短い答えが返ってきた。ドーナツの中の一つ、オールドファッションとかいう種類のものを、彼は選んで持って行っていたようだ。今オーブンレンジが動いているのが見える。


「なぁ大崎君。」

戻ってくるなり、彼は少しばかりにこにこしながら、僕に問いかけて来た。

「ドーナツの部分がなくなったとしても、ドーナツの穴は存在すると思うか?」
彼は残ったドーナツの一つを取り上げて、その真ん中にぽっかりと開いた穴を指差しながら、そんなどこかで聞いたことのありそうな質問を僕に投げ掛けた。穴を指差された彼もしくは彼女には、さっきよりは幾分か恥じらいが見えたようにも感じた。

「何だか哲学的だね。それは大事な問題なのか?」

「大事だよ。極めて大事だ。デリケートでシグニフィカント。」

まだ彼は機嫌が良さそうだった。彼の中でさっきまでの話題はそこはかとなく消えてしまったと思えるほどだった。

「穴は…なくなるね。ドーナツあってこその穴だ。」
「じゃあ全てのドーナツから穴を取っ払ってしまったら、どう?それでもドーナツあってこその穴と言えるか?」

「それはお前、規定の問題だろう?何を以てドーナツとするか。」

「うん、もちろん俺もそう思う。けど、みんなが思ってるより、遥かにドーナツとかドーナツの穴って存在はあやふやで曖昧なものじゃないか?哺乳類、鳥類の規定とか、男、女っていう規定のようにははっきりしない、ある意味で、こうもりとかカモノハシをもっと曖昧にしたような…。」

「それは生物学者みたいに、ドーナツ学者がいないからだろう。」

「なるほどね、確かにそうだな。じゃあ大崎、お前ドーナツ学者になってくれ。」

「嫌だよ。俺は普通に働くよ。どうせ生活がかかってくるからね。」

「うん、やっぱりそこだよな、問題は。もちろん、ドーナツの話だけじゃないよ。この世界は、いかんせん、規定がはっきりしないなかに、目的とか意味とかが氾濫し過ぎてるんだ。絶対に、そうだよ。」

本気で彼がそういったことを憂いているのかどうかはわからなかったが、そうこうしているうちに店員が温め直してくれたドーナツを持って来てくれた時にも彼は難しい顔をして受け取ろうとしなかったので、やはり彼の中で深刻な話題ではあったのだろう。僕にとっては、戸惑う店員を解放することの方が重大な問題であったので、少し申し訳ないといった態度でもって、丁寧に新しい皿に載せられた温かいドーナツを受け取った。

彼は視線をその新しいドーナツに移して、部屋の中の暖房にも負けずに湯気を上げるそのドーナツを見つめていた。


「な、ちゃんと穴が大きくなっただろ?」

再び気分を持ち直した彼に促されて僕が見たそのオールドファッションと呼ばれる物体は、水分か何かが抜けてしまったのか、確かにさっきよりは小さくなって、そのせいで穴は大きく見えた。彼はそのドーナツを直接手に取って、両手で、顔の前に持ち直した。彼の指に、あまり質の良くないであろう植物脂が光るのが見えた。そのドーナツの穴から彼の片方の目が僕を捉えていた。指の脂や、レンジの仕事の結果である熱さなど、彼は少しも気に留めていないようだった。壁の時計の分針の動きが感じられた。せわしなく働いていた店員たちはみなカウンターの奥に引き払っていた。周りの客の話し声は一瞬、全てが溶け合って、静かな雑音に変わっていた。それが、その空間の、その瞬間の宇宙であり、世界の全ての意味は融解した。その一瞬を、彼の声が、そしてドーナツの奥から見える視線が、鋭く捉えた。少なくとも僕には、そのように感じられた。


「響子を、頼むな。」


(第1部・完)

(Originally written: 2008年11月12日)