2015-01-01から1年間の記事一覧

「この時代に生きられてよかった」と言えるということーー限界、夢、そして僕らがつくるもの

この時期、僕は“訳”あって、いわゆる「就活」というものをしていた。ゼミの先生(今の指導教授の先生)にも、研究室の前で不思議がられた記憶があるが、それはおいておくにしても、この時期にめぐった様々な場所の光景や空気感は今でもありありと思い出せる…

その全てが自分を許してくれるとは思わない方がいい。

◆大好きな歌を[2007年01月19日10:42]大好きな歌を、あと何度聴くことができるか、歌えるか。 とりあえず時間に限りはある、けど。 結論はまだ出さない。 世界の中でそれがどれだけ無力か。不完全か。 それでいてどうしてこうも素敵なのか。 思い出せなくて…

午前4時。布団に包まって。

僕を予期する僕を、断片から思い出そうとする僕。夏に、冬を思い出す。あなたは、こんな僕を少しでも予想できただろうか。時間は進む。僕はそれを疑ってはみるが、確かに進んでいるのが感じられてしまう。呪いのように。疑いが空回る。暖かい気持ちになろう…

自販機からお釣りが出てくるときの音とか、仲良さそうに話す人達の中でひとり笑顔じゃない姿とか。

ポプラの枝になろうとした夕方。僕はただそれだけの理由で嬉しかった。“いつも少しずつ何かが違ってて。それはそれで、何も納得のいかないことじゃないけれども。”そんな風に今日もまた、昨日と同じように、天井を眺めては明日を待つ。“どんな幸せも憧れも、…

体験と認識[2011.3]―限界のない可能性と板挟み、地震、擬似的だとしても現代的なやり方―

5年後10年後に残っているかは知りませんが、僕はTwitterというサービスが好きです(ブログ系は基本的に好きです)。登録したのは2009年の12月でしたが、始めて呟いたのは2011年3月8日。今日から数えてちょうど4年前のことでした。深夜3時前。どういう状況で発…

体験と認識―2014年12月

体験と認識―2014年12月◆ どちらが正しいとか間違っているとか言うのが難しいと思いながらも同時に何かを敢えて「正しい」と(たとえそれが正しいと心から信じ切っていなくても)言わなければならない時というのがよくある。静的なものにせよ動的なものにせよ…

体験と認識―2015年1月

2015年2月15日。なんだか響きがいいですね。 日曜日の朝など時間のある時に備忘録を一月分くらいずつまとめていくのもいいかもしれない、ということで1月分を自分用にまとめました。 もともと公開しているものなので、自分用が同時に共有用となる…これも現…

ドーナツ・ショップ11

‐11‐ ドアを抜けると、ひんやりとした空気に身体の隅から隅までが藍色に染め上げられるような気がした。声の主の姿は見えなかったけれど、僕に不平を言う権利なんてなかった。 「個性はある時、陳腐になる。」そう書かれた薄黄色の藁半紙が、象徴的に壁に貼…

ドーナツ・ショップ10

[第1部はこちらから: http://t-kishimo.hatenablog.com/archive/category/%E3%80%8C%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%8D] 第2部 ‐10‐ …なんてこった。 この世界に迷い込んでから、一言でいうと、…

今日を下車する -1-

残り火。 過去は、凶器/狂気でもあり、治療薬でもあり。 現在は、ただ生きることを願う意志の集積。そこには、まだ、間違いも正解も記されてはいなくて。 僕は君をどう眺めればいいのか。 明日を待つ時間に、瞬間、君を疑い、目に映る光を順に追う。 /_/_/_/…