羨望に近く、下手をすれば諦めにも近い、淋しい憧れ

悲しいときに、悲しいままでいるな。

揺れていればいい。

揺れて揺れて、

そして会いに行けよ。


それができなくなったときに、適切に涙を流せるように。



「人のこととか思いやりはほんと苦手だから

周りの人が不幸だと困るからだよ

ただそれだけ…」(壊れた時計/capsule


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◆どこか遠くへ~君が言う確かさなんて~
[2007年05月20日19:26]


無性に「遠く」を求める時がある。

それは、旅に出て非日常に身を置きたいだとか、そういうのではなく、

自分と何かの間にある「差」を感じてであったり、、やはりそれでも日常の感覚から少し身を置きたいと感じるからというものであったりもする。

しかしまぁ、ある意味で羨望に近く、下手をすれば諦めにも近い、淋しい憧れだと思う。


時に星になったり鳥になったりする人間の、迷走ともとれる夢想は、欲望ののりしろを少しずつ広げていってしまうのか。


どうなんだ。


気候の良すぎる五月晴れも、夕刻を過ぎ次第に増していく肌寒さが、昨日の夜の感情なり様相なりをどこか「遠く」へ押しやってしまう。


確かにしておくべきはずの記憶も、それを留めておく時間も与えられないまま、輪郭は薄れ、存在感は信憑性を無くしていく。



「確かに」「誰かが」「泣いていた」。


「確かに」「誰かが」「笑っていた」。



そして、僕はきっと、そこにいた。