「この時代に生きられてよかった」と言えるということーー限界、夢、そして僕らがつくるもの

この時期、僕は“訳”あって、いわゆる「就活」というものをしていた。

ゼミの先生(今の指導教授の先生)にも、研究室の前で不思議がられた記憶があるが、それはおいておくにしても、この時期にめぐった様々な場所の光景や空気感は今でもありありと思い出せる。大崎、勝どき、下丸子、品川、赤坂見附……。それだけ、色々なことに敏感に、センシティブになっていた時期だったのだろう。その分、間違いなくこの時期を経た僕は、学問を志すものとしても幾レベルか良い方向に変わることができたと思う。


「本当に、この時代に生きられてよかった。」


そう、最後に、この時期の僕は書いている。


今日、政治的な動きがあった。進めようとしているもの(少なくともそう見えるもの)と、止めようとしているもの(少なくともそう見えるが恐らくはそうであるもの)が、ぶつかっていた。本来であれば言葉を発すべきでないように思われる人までもが言葉を発していたことを考えると、そういう人でさえも言葉を発さざるを得ないほどの状況であったということがわからなくない。


「この時代に生きられてよかった。」


今でも僕はそのように言えるだろうか。そのように書くことができるだろうか。


いつも、何か間違っているような感覚と、それを振り払ってなお進もうとする感覚のせめぎ合いのなかで、この時代を生きてきた。そして今も、生きている。


そして明日はどうか。


明日は僕らがつくるのか。


僕らは何をつくるのか。



それがわからないから今日も生きているのだと言われれば、僕は否定はしないのだけれども。



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◆久しぶりに。
[2007年03月17日16:27]

就活中はいつにも増して本を読むことが多い。

小説を読むということは僕にとって、細い綱を渡るという行為にある部分で非常に似ている。

不安定さで不安定に拍車をかけているような、泣きたいときにアルコールでも飲むような、
曇り空を微笑ましく眺める、そんなところだろう。


人間の不完全な心性に、ある時芸術はよく馴染む。それを理解しているからこそ求めるのか、何も考えずにただ飛び込むのか、そんな様子はどこか恋愛にも似ている。

少し前、やはり人は傷つきたいのだろうかと考えた。でも、一見そう見えても、本当に求めているものはきっと別のところにあるのだろう。

久し振りに、懐かしい感触を文章に落とせただろうか。なら、またいつもと同じ場所に向かうのだろう。

久し振りに、彼女と関わったからだろうか。話題に上るのは、思っていた程ありふれたことではなかったのだろう。


一年、二年、三年・・・


指で数えられるのは限界があるように思う。



◆3月の雪を待ち焦がれて ~序~
[2007年03月19日22:43]

帰り道、雪が降り出した。

瞬間、とても優しい気持ちになれた。

待ち焦がれて、そうか、やっぱり来てくれたか…って。

これで、いろんなことがうまくいってくれるはず…

そう思うと、何故だか泣きそうになって、道端、 こらえてた。


帰り道、自由が丘ブックオフで5冊程買い込んで幸せな気分になってた時に、ほんのり冷たいサプライズ

相変わらず月は見えない。そういえばそろそろ新月の頃。もうそんな時期なんやね。


今朝はまた怖い夢を見た。俺が見る怖い夢はだいたい2パターンで、ひとつはでかい組織に追われてる、もう一つは周りの人が次々に死んでいく…

今朝のはそれが重なってる夢でした。

そんな夢を見るのはきっと周りに大切な人がたくさんいる証拠なんだろうけど、

こういう朝を迎えると一週間くらい不安が続きます。


うーん


とにかく快眠サプリを買ってみよう。


なんにせよ、これから始まるんだ。



◆上野、雨のあと。
[2007年04月03日18:29]

就活の帰り道、上野駅を通ったので上野公園に寄ってきました。

久しぶりだった。

上野駅はいい感じに広いので好きです。東京の割に空気が澄んでいるように感じるのは芸術の街だからかな?それとも雨の後だから?

ほんと久しぶり。ほんのり思い出も甦ったり。あの子は元気にやってるだろうか?

ご飯に誘ってくれた友達を待たせつつも寄り道してよかった。通り掛かったときどうしても寄らずにはいられなかった。

同じ空気。同じ薫り。

でも同じ時じゃないんやね。


本当に、この時代に生きられてよかった。